2009年02月23日

バレンタインの勇気

 今年のバレンタインデーは、お菓子作りに挑戦しました。

 やはりある程度の社会性をもって生きていこうと思えば、便乗したほうが政治的に好ましいイベントというのもあろうかと思ったのです。
 あまり器用なほうではありませんが、簡単なお菓子作りであればそう大きな悲劇は生まれまいと思ったのです。

 そういうわけで、作ってみました。
 家族に試食してもらいます。

「はい、おやつ。どうぞ」
「わあ、これは、ええとこれは、何?」
「とりあえず、見た目はマドレーヌ」
「見た目はって……」
「まあ、害のあるものは入れていません、ご安心を」
「うーん、いただきます……ああ、クッキーだったんだ」
「クッキー?……ああ、なるほど、堅い」
「まあ、おいしいよね。堅いけど」
「堅くなる予定はなかったのだけれど」
「あれ、これ、クッキーじゃなかったの?というかこれ、何なの?」
「予定ではカップケーキができるはずでした」
「……確かにクッキーじゃない感じだけれど、かといってこれはマドレーヌでもないけれど、つまりなんだかわからないけれど、多分これ、カップケーキではないよ?」
「おかしいなあ、どこかで全く異質のものに変貌してしまった」

 ときどき私の料理は錬金術のようなことになります。

「ところでこれは、今年も各所からチョコレートをいただいたから、お礼にと思って作ったものなのだけれど」
「これ、ひとにあげるの?」
「うん、でもこれ、ひとに差し上げてよいものだと思う?」
「……頑張れば食べられる、かな」
「頑張りを要求する時点で、贈り物だか暴力だかわからなくなってしまうなあ」

 そういうわけですので、今年のバレンタインデーに私から何も贈り物がなかったとしょんぼりしていらっしゃる方におかれましては、何もなかったことがむしろ僥倖であったのだとご理解ください。
 贈り物をすることよりしないほうが優しさになることもあるのだと思います。
 手作りしたなにかをあえてお渡ししない勇気。

 なお、作ったなにかは概ね自分のおやつにしました。
 あごが丈夫になった気がします。
posted by にくす at 21:03| Comment(4) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

猫の舌

 明日はバレンタインです。

 今年はチョコレート売り場に足を運んでみました。
 お目当てはデメルの「猫の舌」。

 公式サイトには「猫ラベル」という商品名で載っています。
 猫の舌を象った薄いチョコレートで、口に入れるとすっと溶け、濃厚な風味がふわりと広がるのだとか。
 何かの書物で知って以来、一度食べてみたいと思っていたのです。
 実に美味しそうですし猫ですし、あとはやはり猫ですし。なんといっても猫ですし。ねこだいすき。

 普段は近所になかなかデメルを扱っているお店がないのですが、この時期にはあちこちの特設売り場に様々なチョコレートが並びます。
 近くの百貨店にも猫の舌が入荷されるとの広告を発見、喜んでお買い物に行ってみた次第。もちろん自分用に。

 ところが私がお店に行ったときには既に、猫の舌は店頭にありませんでした。
 店員さんのお話では、入荷してから瞬く間に完売してしまったのだとか。
 どうも猫好きは私の他にもたくさんいた様子。
 オーストリアはいささか遠いので、猫の舌は来年までおあずけです。しょんぼり。

 つまり何が言いたいかというと、もしバレンタインに私にチョコレートをあげたいけれど何がいいのかわからないなあという奇特な方がおられましたらその際は是非猫の舌をお願いしますと、そういう自己主張です。よろしくおねがいします。
posted by にくす at 20:09| Comment(2) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

料理の反省

 ちょっと反省会。

 料理があまり得意ではありません。
 基本的に不器用である、手際があまり良くない、などの要因のせいでしょう。
 調理中怪我人が出かねない事故を起こしたことさえあります。しかもなぜか常に自分ではなく他者がその被害に遭いかけるという、迷惑極まりない腕前。
 おかげで事情を知る友人達と料理をするときは包丁を持たせてもらえず、火の傍にも決して近付かせてもらえないという状況になりました。
 当然の帰結とはいえ、情けないことです。

 ですがしかし、自分では決して己を料理下手だとは思っていません。
 レパートリーには乏しく、特殊な技量も持たないものの、最低限必要な調理くらいはできるつもりでいます。
 他人に自信を持って振舞ったことはありませんが、おなかがすいたら自分のごはんは自分で作りますし、それを殊更おいしくないと思ったこともありません。
 なにより、私は料理をするのが結構好きなのです。


 で、先月中旬のこと。
 旅行中、ひとのお家にご厄介になりました。
 その方はあまり自炊をする習慣がないとのことで、朝食等は買ってきたもので済ませていたのですが、何日か続くと出来合いのたべものにも飽きてきます。
 出来立てのたべものが恋しくなったので、いくらか材料を買ってきて何か作ることに。


 キャベツとトマトとえのきを刻んでコンソメで煮込み、スープを作ってみました。
 素材の味を活かすべく余分なことはせずにおいたので、可もなく不可もなくおいしいものに。
 これならひとに薦めても大丈夫かな、と思えたので、お鍋に半分残しておいて、家主さんに食べていただこうと考えました。

 しばらくしてキッチンに立ち寄った家主さんがひとこと、不安げな顔で。
「鍋の中に何か、グロテスクなものがあるのだけれど……」
「……スープです」

 掻き混ぜすぎたのが悪かったのか何が悪かったのか、確かにあまり見目好い出来ではありませんでした。
 一応味見していただくと、褒められもせず苦にもされず、無事完食はしていただけて一安心。


 言われてみれば私の作る料理は、味はともかく見た目が極端に悪くなる傾向にあります。
 出来上がりを急ぐのが災いしているのかもしれません。
 食べられればそれでよし、と大雑把に考えてしまうのもよくないことなのでしょう。


 ならば、と、見た目が悪くなる確率が比較的低そうな卵料理を作ることにしました。
 残っていたえのきとトマトを軽く炒め、砕いたポテトチップスを混ぜた卵を流し込んでとじるだけの料理です。
 このとき卵に牛乳を入れておくとふんわり仕上がります。冷蔵庫に豆乳があったので、代用としてそれを混ぜ込むことに。
 手早く火を通すと、ポテトチップスの食感が残ってちょっと変わったじゃがいも入りオムレツのようになるのです。

 が、このおうちのコンロは電熱器で、思っていたより火力が弱く。
 加えてお鍋もフライパンではなく両手鍋のみで、加熱の加減がよくわかりません。火はなかなか全体に通らないにも関わらず底の部分が焦げ付きそうになるので、慌てて掻き回し続けることに。
 結果、均一に加熱処理を施された混ぜ物入りのスクランブルエッグができました。

 試しに味見してみると、まあ、熱々なこともあって食べられなくはありません。味自体は決して悪くないのです。
 しかしながらなんだか全体が平坦な食感、平坦な味で、どうにももったりした感じ。
 味をまろやかにするべく入れた豆乳が、完全に裏目に出てしまいました。
 ポテトチップスも、砕かれすぎてまったく食感が残っていません。
 表面を焦がして中をふんわり仕上げることができればよかったのですが、この火力と私の技量でそれは望むべくもなく。
 下ごしらえか材料の配分をもうすこし工夫すれば、と悔やんだもののもはや後の祭り。

 ひとまず自分のおなかを満たした後に残りを保存、出かけるために家主さんに声をかけました。
「卵焼きのようなものを作りました」
「食べてもいいんですか?」
「構いませんが、おいしくないかもしれません」

 帰ってきたら、料理はほぼ手付かずで残っていました。
「あ、召し上がられなかったんですね」
「いや、食べようとはしたのですが……」
「?」
「これは、なんですか?ほんとうに食べても大丈夫なものなのですか?」

 どうやら冷めてしまったことで、「食べられなくはない」レベルであった卵焼きが「食べ物かどうかも疑わしい」レベルにまで変質してしまっていたようでした。
 家主さんは
「大概のものは食べられる好き嫌いのない性格を自負していた自分にさえ、食べられない食物があるなんて」
 と、軽くショックを受けていた様子でした。
 私もショックです。

 別途スープを作り、その中に具として件の卵料理を投入することで、どうにか状況の改善に成功。
 家主さんにも「これなら、まあ食べられなくはない」という評価を戴きました。
 決して褒められてはいないのでしょうが、とにもかくにも全部召し上がっていただけたのでよしとしたいと思います。


 しかし、自分の料理の腕前がここまで悲惨なものであったとは。


 昔は「自分が家事に不向きなら、そういうのが得意なお嫁さんを貰えばよいのです」などと暢気な夢を抱いていましたが、今の自分に専業主婦・専業主夫を養うだけの環境を整えることはできそうもありません。
 ましてや家政婦さんの雇用などもってのほか。
 おいしいものを食べたければ、自分で料理の腕を磨くよりありません。

 とりあえず
・グロテスクでないものを作る
・食べられるものを作る
 この二点を目標に、頑張ってみたいと思います。
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2006年09月01日

ゆべしへの情熱

 ゆべしが大好きです。

 ゆべし、という名前の食べ物はいろいろあるようなのですが、私が好きなのは胡桃の入った餅菓子のゆべし。こういうものです。
 以前お土産で戴いたものを食して以来、すっかりその味を気に入ってしまいました。

 しかしこのお菓子、どうやら東北地方限定の名産品のよう。
 私は東北にあまり縁がないため、なかなか食べる機会に恵まれずにおりました。

 そんな折、先日新潟を訪れた際に駅の売店でゆべしを見つけ、思わず購入。
 随分しばらくぶりにゆべしの味を楽しむことができました。
 もちもちとした食感の中に胡桃の歯ごたえ、甘さの中に醤油の風味が絶妙に絡み合った味付け。
 それはまったく幸せなおやつで。

 食べ終えてしまった今、軽い飢餓感に見舞われています。
 もっとゆべしを食べたいのです。心ゆくまで堪能したいのです。
 今なら、ゆべしを餌にされれば誘拐犯にさえついていこうかという心境です。毎日のおやつがゆべしなら、半月くらいはおとなしく監禁されてみせる自信があります。
 九州地方なら、かるかん饅頭でも可です。

 この味は充分全国に通用するものだと思うのに、なぜ全国区のおやつとして定着していないのでしょう。
 通販で手に入れることは可能なようですが、私はもっと日常的にゆべしを食べたいのです。おみやげものとしてではなく、日常のおやつとして近所のお店で手に入れることができるようになればよいのに。
 いっそ1キロくらいまとめて買って飽きるほど貪りたいと、心から思っております。そういう問屋さんはないのでしょうか。

 そのように煩悶していた所、ゆべしの作り方を発見しました。ネットとは素晴らしいものです。
 自分で作れるようになれば、いつでも好きなときに食べることができます。これを機に、作れるおやつのレパートリーを増やしてみるのもよいかもしれません。
 ともかくなんとしても、おいしいゆべしを作れる能力を身につけたいところ。それがあるのとないとでは、人生の幸福度が大きく異なる気さえするのです。
 これほどおやつ作りに情熱が湧いたのは久々のことです。

 まったく、欲望ほどひとを効率的に成長させるものはないと思います。 
posted by にくす at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

桜の金平糖

 思えば3月辺りから身辺やや慌しく、なにかばたばたと過ごしてしまいました。

 4月も半ばを過ぎた今、私は痛烈に残念な思いを噛み締めています。
 様々な花は愛でました。
 鳥を眺め虫を眺め、空気の移り変わりを楽しみもしました。
 自然ばかりでなくひととも関わり、私事も仕事も充実した一ヶ月でした。
 それなりに3月という月を満喫した年であったと思います。

 心残りはただひとつ。
 緑寿庵清水の金平糖を食べ損ねてしまったことです。

 ここの金平糖はほんとうに美味しいのです。
 ただ砂糖を固めただけでなく、果物、お茶など様々な風味の金平糖があるのが特徴で、一粒口に含めばえも言われぬ幸せな気持ちになります。

 このお店では通常の商品の他に、年に一度しか作れない究極の金平糖や月替わりで販売される季節限定品の金平糖を扱っています。
 3月には季節限定で、桜の金平糖が販売されていました。
「塩漬けしてある桜の花びらを、細かくして蜜がけし、軸を煮て色と香りを取りました。桜本来の香りが少ない分素材をふんだんに使用し、十六日間かけて作る人気商品で、毎年桜が咲く頃には売り切れてしまうお品です」
 とのこと。

 昨年の夏にこの素敵な砂糖菓子の存在を知り、その魅惑的な風情にいてもたってもいられず、春になったらきっと京都に行きましょう、行って桜の金平糖を口にしましょうと固く心に誓ったのです。
 が、秋が訪れ冬を越え、ばたばたと春を満喫しているうちに3月は過ぎて、桜も散り始めの時期となってしまいました。
 元々が限定品、売り切れれば販売終了となる品物。
 最早桜の金平糖、店頭に並んではいないでしょう。

 来年までおあずけです。
 
 まあ、ものは考えよう。
 また春を待つ楽しみがひとつ増えたと、そう思うことにしたいと思います。

 5月になったらトマトの金平糖を購いに行きましょうか。
 8月限定で販売される、ココナッツの金平糖も大層美味しいので是非賞味しておきたいところ。

 過ぎた季節を惜しむも悪くはないのですが、これから来る季節にも楽しみは多く、とりどりの色に味覚にわくわくと思いは移ろい、残念な気持ちも長くは保たず。
 甘いものが傍らにあれば、素晴らしくない季節などないのです。

 春が過ぎれば日差しの色も強さを増し、すぐに夏がやってきます。
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2006年03月30日

大豆の実力

 ゲーテと麩のお話。
いや遠くさまよい出でんとするか、
見よ、善きことはまこと近きにあり。
幸福をとらえるすべを知れ、
幸福は常に手近にあれば。
 基本的にひきこもり志向です。
 「自分探しの旅」という言葉に、果てしない胡散臭さを感じています。
 重要なものは自分の内側に全て揃っているのですから、それを見つけ出すべく充分な内省をせぬうちに、徒に外部にそれを求めて彷徨うのは、ひどく安易な行動であると考えます。
空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない。
 だから私はあまり外に行く気がしないのですと主張したところ、
「でも、その場所に行かないと食べられないものはあると思いますよ」
 という回答を戴きました。
 おそらくは普通の言葉なのですが、ひどく納得のいく事実のように感じられました。

 そこで昨日はパスタ屋さんに行って、豆乳スープ、生麩としめじのチーズクリームパスタ、飲み物は白ワイン、デザートに生麩と麩菓子の入ったパフェが付いたセットを賞味してきました。
 おいしかったです。

 なるほど、外に出ないと味わえないものというのはあるのだなあと実感しました。
 あと、大豆の実力を再認識しました。
無限の中に歩み入ろうと欲するか、
有限なものの中をあらゆる方面に行け。
 別段殊更遠くに行かずとも、面白いものはあらゆるところに見出せます。
 別段かたくなに狭い場所に篭らずとも、面白いものはあらゆる場所に転がっています。

 それを見つけられる感覚があれば、多分どこに居ても日々は楽しいのだと思います。
posted by にくす at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

料理下手の懊悩

 週末、お友達の家に集まって鍋をやりました。
 材料を買ってきて、皆で手分けして準備。

 私は葱を切ることにしました。
 白葱、というのでしょうか。太めで根元部分が白い、すんなりと伸びたきれいな葱です。
 このような葱を切った経験がないものですから、どのような形に加工すればよいものかしばし思案に暮れました。
 
 料理番組などを見た記憶によれば、確か葱というのは薄くさくさく切っていくものだったような気がします。多分小さく切っておけば加熱処理もし易いでしょう。薄く切っておくに越したことはないだろうと考え、とんとんと刻んでみました。
 しかし3センチほど葱の薄切りを作ったところで不安になり、料理が上手そうな友人に尋ねてみました。

「あの、葱ってこんなのでいいのかな」
「どれどれ。うん、薄すぎ。斜め切りにするんだよ」
「ななめぎり」
「そう、斜め切り」
 しばしの沈黙。
「ななめぎり、とは?」
「……ほら、ちょっと貸してごらん」

 葱没収。

 葱は諦めて白菜を切ることにしました。
 おぼろげな記憶にもとづき、芯を取って一枚ずつ葉を剥がし、それを洗って適当な大きさに千切ります。
 少し大きい気がしますが、葉っぱというのは煮込めば縮むものです。
 そんな風に考え、掌ほどの大きさに揃えた白菜を前に仕上がりを想像。
 これを煮込めば、きっと縮んで出来上がりはちょうどいい大きさに
 ……なるわけがないか。
 どう考えてもそんなに葉っぱは縮みません。いくらなんでも大き過ぎます。

 念のため、友人に確認を求めました。
「あの、白菜がこんな風になったのだけれど」
「ああ、これはひどいね。切っておくよ」

 白菜没収。

 あとでよくよく考えたら、「芯を取って一枚ずつ洗い千切って処理する」というのはサラダ用のレタスなどの処理法でした。
 白菜とレタスは酷似していて見分けるのは困難を極めますが、同様に調理してはいけないようです。

 包丁を取り上げられてしまったので、お鍋に具材を入れる手伝いをすることにしました。
 お鍋に入れる順番さえ間違えなければ誰にでもできる、非常に容易な作業です。
 ですが不安なので横に付き添いの子を置いて、順序を聞きながら野菜を入れていきます。次いで、肉団子をお鍋に入れていく途中に手が滑りました。
 ぽちゃんと熱いお出汁が跳ねて、向いの子の顔に。
「熱っ!目に入った!」
「あっ、ごめんなさい!大丈夫!?」
「大丈夫……じゃない!痛い!目が辛い!」

 大惨事。

 自分のあまりの粗忽ぶりに恥じ入り、俯いて皆さんに謝りました。
「その、もうちょっと役に立ちたかったんだけれど。なんか私、意外に『できない子』で。ごめんなさい」
「意外?」
 皆様の反応は思いの外暖かく。
「いや、全然意外じゃない」
「こういうのが駄目だっていうのは知ってたし。そもそも凄く料理しなさそうだし」
「まあ、にくすさんのやることだから。しょうがないよ」
 責められるでもなく優しい言葉を掛けていただいたのですが、なんというかその優しさが心に痛い。

 僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

 タピオカとかプリンとかわらび餅とか、そういったものばかり作っていないでいい加減常食となりうる料理を覚えようと思いました。がんばります。

 お鍋はとてもおいしかったです。
 ご一緒戴いた方々、ありがとうございました。
posted by にくす at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月20日

柘榴の味

 今年は庭の柘榴がよく実をつけました。
 いくつかもいできてはおやつにしています。

 柘榴といえば訶梨帝母。インドではハリティー。
 元々は他人の子供をとって喰べる怖い鬼だったものが、お釈迦様に自分の子供を一人隠されて嘆き悲しんでいると
「あなたにはすごく沢山子供がいるけれど、そのうちのたった一人の子供がいなくなっただけでそんなに悲しいのなら、たった一人しかいない子供を喰べられてしまった親はどれだけ悲しいでしょう」
 というような感じで諭されてこれまでの行いを反省し、以降は子供の代わりに柘榴を食し、子供を守る仏、鬼子母神として頑張るようになったとかそんな感じのお話があります。いいお話ですね。

 だけど、と思います。
 それはただ、単純に柘榴の方が子供より美味しかったというだけの話なのではないでしょうか。
 それか実は然程子供の味が好きではなかったのではないでしょうか。

 だって本当に好きなものなら、他で代用することなどできないと思うのです。
 どうしようもなく子供の味が好きならば、何が何でも子供を攫うのをやめないでしょう。
 他所の子供を喰い尽くし、果ては自分の子供を喰べるくらいのことはやるでしょう。
 我が子を失う悲しみに打ちひしがれながら、尚も子供を喰べるのをやめないでしょう。
 誰に諭されても何を失っても欲しいものというのは確実にあって、そういうものをみつけてしまったらもうどうしようもないと思うのです。

 そして幸いなことに訶梨帝母にとって「子供の味」というのはそういうものではなかったから、平和に柘榴で満足することもできたのではないかと思うのです。
 美味しいですし。柘榴。

 柘榴というのは種が多くて食べるのに時間がかかるため、食べながらとりとめもなくそんなことを考え、食べ終えるまでには漱石の『こころ』などにも思考が及びました。
 思索と相性のいい果物だと思います。
posted by にくす at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月07日

未熟なアボカドの調理

 栄養をきちんと摂るべく、アボカドを冷蔵庫から取り出しました。
 私はこの緑の果物が大好きなのです。愛しているといっても過言ではないほどに。

 包丁を入れたら、まだ熟していなかったようで固い手応え。
 試しに薄く切って口に入れてみました。
 おいしくありません。

 このままでは食べられないので、とりあえず冷凍庫に入れて一週間ほど放置。
 一週間後、薄く切って解凍してみました。
 少しは熟したであろうかと味見。

 驚く程おいしくありません。

 どうやら冷凍状態では追熟ができない様子。
 ならばと考え、薄く切ったアボカドの一片をラップで密封し冷蔵庫で保管、柔らかくならないかどうか観察を行うことにしました。

 一週間後、腐敗を確認して観察終了。
 おいしいかどうかを確認する前に、既に食べ物ではなくなってしまっていました。

 しかしこのアボカド、まだその殆どが冷凍庫内に残っています。これを捨ててしまうのはいかにもかわいそう。
 なんとか食べられないものかと、調理にのりだしてみました。

 まず解凍、その後に電子レンジで加熱。柔らかくなりました。
 味見をしたところ、味が薄くてあまりおいしくありません。味の薄いじゃがいもをふかしたような感じです。
 しかしこれなら味付け次第でどうにでもなりそうな予感。

 柔らかくなった果肉を匙でつぶしてピューレを作成。同様にレンジで加熱したトマトピューレと合わせ、カレーに投入してみました。

 驚く程おいしかったです。やったあ。

 今回のまとめ。
・アボカドは包丁を入れる前に、熟し具合をしっかり確かめましょう
・未熟なアボカドに包丁を入れてしまった場合は加熱調理
・今回はカレーに入れましたが、つぶしたものに味付けをしてサラダなどに入れてもおいしいかも

 それにしても。
 振り返ってみたところ、私は一つのアボカドを半月かかって調理していたことになります。その殆どが観察・実験期間ですが。
 この執念深さをどこか他でも活かせぬものでしょうか。

 ともあれ、半月に亘るアボカドとの死闘はこのような形で幕を下ろしました。
posted by にくす at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月07日

玉子酒の罠

 風邪を引きました。
 風邪といえばこれだろう、と玉子酒(卵酒)を作りました。

材料
・卵黄1個分
・日本酒一杯
・砂糖大さじ一

1、どんぶりなど大き目の器に日本酒を入れ、電子レンジで温める。暫く沸騰させて、アルコール分が飛んだところで出す
2、温まった日本酒に砂糖を入れて溶かす
3、卵黄に少しずつ2を入れて出来上がり

 こうして作った玉子酒をふうふうしながら飲んでいますと、父に声を掛けられました。
「お、玉子酒か」
「ええ、風邪に効くって聞いて」
「そうだね、卵白に含まれるリゾチウムは風邪に有効だよ。風邪薬に使われる塩化リゾチウムも卵白から抽出するくらいだし」
「へえ……」

 あれ?
 卵白に含まれる?

「あの、卵白を入れると口当たりが悪くなるから、これは卵黄だけで作ったんですが」
「そうなの?それじゃあ風邪への有効成分は含まれていないかもなあ。まあ身体を温めるのは悪い事ではないから、飲んだら早めにおやすみ」

 私の作る玉子酒、風邪にはあまり効かないということが判明しました。
 悔しいので翌日、残った卵白を使ってお菓子作り。
 卵白を泡立て、適当に砂糖とココナツを入れて130度のオーブンで焼くこと一時間。さくさくメレンゲの出来上がり。

 こうして作ったおやつをさくさくつまんでいますと、父が仕事から帰ってきました。
「ん、おやつか」
「卵白を泡立てて焼きました。卵白は風邪にいいんですよね?」
「そうだよ」
 その返答に内心喜んでいますと、父は少し複雑な顔でお菓子を見てぽつりと一言。
「でもリゾチウムは熱で壊れるから、焼き菓子にしてしまったら効果は薄いかもね」

 食べ物には頼らないことにしました。
 なに、卵の力など借りずとも、風邪くらい自力で治せますよ。
posted by にくす at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月13日

バレンタインの前日

 明日はバレンタインデーです。
「バレンタインデーにチョコっていうのはさ、日本のチョコ屋が売上げ倍増のために考案した『女の子から男の子にチョコを贈ると愛が叶う』ってキャンペーンだよ」
「ただの販促じゃない。どこが祭りなのよ?」
「そこが甘い。この祭りを考え出した奴は天才さ。どんな形であれ、ブームを通り越して文化にまで押し上げたんだ。菓子屋やアーティスト達が様々なアレンジを加え、世に発表していく発展途上の文化だ。つまり進化し続ける祭りなんだよ!元々祭りの多くは五穀豊穣を、富を願って創められたって言うしな。チョコ屋が商売繁盛を願って祭りを起こしたっていいじゃないか!更に凄い事に、『男からのお返しの日だ』って言って『ホワイトデー』なんて祭りの日まででっち上げちまったって事さ!こういう勢いって俺は大好きだ」
(成田良悟『バッカーノ!2001』より、一部台詞のみ抜粋)

 という訳でお祭り大好きな人間としては、是非とも参加してみたい行事であります。
 しかし今年は貰う当てがありません。

 周囲の人に恵まれて、この十年ほどずっとバレンタインにはチョコレートを貰い続けてきたのです。しかし環境が色々と変わり、今年はチョコレートをくれそうな知り合いが身近にいません。
 ならば、今年は渡す側に回ってみるのも一興ではないか。
 そう考え、先日友人に相談してみました。

「もうすぐバレンタインだし、今年は何か作ってみようかと思うんだけど」
「え!?」

 驚かれました。

「作るって、あなたが!?お菓子を!?」
「うん、たまには誰かにあげるのも悪くないかと思って。よかったら持ってくるけど、何か食べたいものとかある?」
「いやいやいやいや!無理しないで!」
「無理って、何が」
「本当に気を使わなくていいから!お気持ちだけで結構ですから!」

 怯えられました。

 ちょっと落ち着いてください御友人。
 確かに私はあまり料理が得意な方ではありませんが、かといって苦手というわけでもありません。
 まあちょっと不器用で、ちょっと手際が悪く、とりわけ包丁の扱いに関しては悲惨そのものなのは認めますが。
 しかし製菓ならばあまり包丁も使いませんし、計量と温度調整を厳密にやれば概ねは成功するもの。科学部に所属していた経験もあるこの私、そういう作業なら寧ろ得意と言ってもいいくらいです。

 ただ、「料理が好きな人」というイメージはどうも私にそぐわぬもののように思うのです。
 というか、「料理が好きな人が好き」という人があまり好きになれないのです。
 ですので人と話す際、料理に関しては意図的にできるだけ悲惨な失敗談を選択し、料理全般駄目な子という印象を積極的に周囲に植え付けていく作戦に出ていたのですが、よもやここまでその印象が浸透していようとは。

「大丈夫だよ?毒物とか作るわけじゃないんだし」
「いやいや、もう本当にその気持ちだけで嬉しいから」
「あの、何か誤解があるような気がするんだけれど」
「いやいやいや、本当に本当に気を使わないで下さい許してください勘弁してくださいまだ死にたくない」
「あー……」

 ここまでくると誤解を解くのも逆に勿体無い気がします。
 そんなわけでお菓子作り、断念。
 これからも周囲には料理下手で恐れられる人間として認定されていきたいと思います。
posted by にくす at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

節酒の経緯

 かねてより日に一杯程度のお酒を嗜むのを習慣にしていたのですが、最近それを控えるようにしています。
 知人に「お酒は飲まないほうがいいと思う」と助言されたためです。

 知り合いの一言で生活習慣をあっさり変えるほど素直な人間ではないつもりですが、しかしその知人が私に意見をくれるのは極めて珍しいことで。
 意見をくれるのが珍しいというか、そもそも私にあまり関心がないような印象のある相手なのです。たとえ突然私の訃報が届いたとしても、その子は顔色一つ変えず
「ああ、そう」
 とか言って何事もなかったかのようにドラクエのレベル上げに専念しそうな、そんな相手。

 そんな子がどういう風の吹き回しか、私の健康を気遣ってくれたのです。言う事を聞かない訳にはいきません。
 カクテルを作るのをやめ、代わりに食後にはお茶か珈琲を淹れることにしました。

 そうなるとお茶菓子が欲しくなるのが人情。
 簡単なお茶請けとして洋酒に浸したスポンジケーキ、リキュールを垂らしたアイス、ウイスキーに漬け込んだ乾し葡萄などを作り、お茶を飲みながらつまむことにしました。

 気付けばアルコールの摂取量は結局以前と変わっていません。

 助言通りお酒を飲むのは控えているけれど、なんだかそういう問題ではないような気がします。
 身に付いた習慣を変えるのは難しいですね。
posted by にくす at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月18日

すべての女は痩せすぎである

 こってりしたものや甘いものが美味しく感じられるこの季節。
 私も類に洩れずぱくぱく色々なものを食べ、ここ2ヶ月ほどで体重が2kg増えました。

 体調を崩し1日絶食したら3kg減りました。

 燃費が悪すぎです。
posted by にくす at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | たべもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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