2006年06月25日

人形呪術の成果

 すこし前のお話。

 おでかけの予定が入りました。
 天気予報で確認すると、その日の降水確率は80%、翌日も70%。
 ほぼ確実に雨が降る、そういう予報でした。

 濡れるのを気にしながらのおでかけとなれば、傘や靴にすこし気を払わねばなりません。
 できれば降らずにおいて欲しいものです。

 まがりなりにも私は学窓で呪術を齧った身。
 知人諸氏からは妖術呪術占術あたりの担当者として認識されていたのか、占いから雨乞い、果ては霊障相談までもちかけられたことさえあります。妖しさには定評がある人間です。

 天気に対して手をこまねくしかないというのも癪なもの、自分の得意分野を活かしてなにかお呪いくらいはしておこうと考えました。
 天候操作、日乞いの呪術。ううん。

tel1.jpg

 てるてる坊主を作ってみました。

tel2.jpg

 顔を描いたらなんだか怖くなりました。

 私に絵の才能はないようです。
 一応吊るしてはみたものの、お世辞にも晴れやかな雰囲気の人形とはいえません。
 もしかしたら逆効果だったかしらとさえ考え、あまり期待はせずにおきました。

 で、当日。
 大雨を覚悟して目覚めたのですが、曇り空ではあるものの、雨は降っていませんでした。
 慌てて新聞の天気予報欄を確認したら、降水確率は50%と40%にまで下がっています。
 予想外の展開に喜びつつ、支度を開始。

 結局その日も翌日も、曇り空ながら雨が降ることはありませんでした。
 濡れることもなく、日差しに照らされることさえある中、おでかけを楽しむことができました。

 で、童謡によれば、てるてる坊主が目標を達成した場合は報酬として「金の鈴」か「甘いお酒」を与え、失敗の場合は斬首を以って罰するというのが決まりごとのようです。
 今回の仕事振りは評価すべきところでしょう。
 とりあえず甘いお酒をお供えすることにしました。

 てるてる坊主は侮れません。
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2006年06月12日

今朝の生存

 今朝、自転車で転びました。

 足が滑ってペダルを踏み外し、大きくバランスを崩したのです。
 手元が狂い、歩道から車道に落っこちそうになります。
 よろけながら足をついて体勢を立て直そうとしました。

 そこに、後ろから他の自転車が突っ込んできたのです。

 自分の自転車も慣性で動いている所に、もう一台の重みが加わって加速。
 ブレーキを掛けようにも衝撃で手がハンドルから離れてしまっていますしここまで重心が傾いてしまった以上転倒は不可避なのでせめて地面に着く際の怪我を緩和しようと身体を軽く丸めて頭部を守ってはみますが私の身体はもう絶望的に車道側に放り出されてしまっています。

 ああ、随分壊れてしまうなあ。

 一瞬の思考の後、あっさりとそう予測しました。
 それはあまりに自明なことのように思われました。

 が、その瞬間は偶然に車の流れが途切れていて。
 身を起こして歩道に退避し、自転車を引き戻す余裕は充分にありました。
 自分の身体に致命的な損傷はなく、後ろから突っ込んできた方もどうやら無事。
 お詫びの挨拶をしてその方を見送り、身体の破損状況は右足の擦過傷のみと軽傷であること、自転車は無事動くこと、荷物は籠からこぼさずに済んだことなどを確認。
 転んだ際に脱げてしまったサンダルを拾い、職場に向かいました。

 あとから聞いた話。
 つい一昨日まで近くの道の工事をやっていた影響で、私の転んだ道はここのところとても交通量が多くなっていたそうです。
 今朝は工事が終了したために、これまでに比べ随分車の量が減っていたとのこと。

 もし違う日に、同じように転んでいたら。

 夕方、職場にニュースが入りました。
 近所で自転車とトラックの接触事故があり、自転車に乗っていた若者が死亡したとのこと。

 不思議に思います。
 どうして自分は今、ここにこうしていられるのか。
 死亡した若者と私の間に、如何なる差異があったのか。

 それはごくごく僅かな、紙一枚を隔てたくらいの差に過ぎなかったように思うのです。
 だけれど私はまだここにいて、その若者にはもう会うことができません。

 注意深く振舞おうと思いました。
 できる限り、その若者のことを忘れずにいようと思いました。
 会ったこともない方ですが、私が今朝通った場所は、彼に随分近いところでした。

 職場に着いてからは普通に仕事をしました。
 休憩時間には甘いミルクティーを淹れました。
 書類作成が捗り、それなりに満足しました。
 とても普通の一日でした。

 今はそういう一日を無事に過ごせたことが、全く奇跡的な幸運のように思えるのです。
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2006年04月11日

千すぢの髪の

 近所の桜がようやく満開となりました。

 見上げれば無数の花、風が吹けば舞い散る花弁。
 桜を愛している身には、実に好ましい光景です。

 それはそれとして。

 髪が伸びました。
 解けば背中を覆う長さ。長さの分毛先が傷み易くなっているので、油を使って手入れをしています。

 その話をひとにする際、「毛皮や皮革製品の手入れをするようなものです」という比喩を用いて説明をしました。
「革靴に光沢をもたせる為に、油を塗るような?」
「そう、死んだ動物の組織を磨くような」
 言いながら、自分で自分の言葉にぞわりとしました。
 死んだ動物の組織。
 そう口にした瞬間、頬に沿って流れる髪の房が死の影そのもののように思えたのです。

 思えば、髪というのは随分死んでいるのに近い部位です。

 伸ばしはじめたのがいつごろか、はっきりと覚えてはいませんが。おそらくこの長さになるまで、数年は経過しているでしょう。
 それだけの年月、切り離すことなく身に付けてきた部位。身体の一部には違いないけれど、いのちの通っていない箇所。
 そういうものがあるというのは、すこしおぞましいことのように思えて。

 だけれど今更、切り落とす気にもなれません。
 だいたいがして知らない方に髪を触られるということに抵抗があるので、ついつい床屋に行くのを躊躇してしまうのです。こういうことでごねているとどんどん偏屈な人間になってしまうような気もしますが、苦手なものはどうにも苦手。
 必要に応じて自分で鋏を入れ、見苦しくない程度に整えて是としてしまっている状態です。
 加えてこれだけ伸びた髪、やはりそれなりに愛着もあります。断つには一瞬、伸ばすには数年かかると思うと、なかなか軽々に断髪してしまう気にもなれず。

 そんなこんなで、積極的に伸ばしたというより、切るのを先送りにしてしまった結果としてこの長い髪が存在するのです。
 優柔不断のあらわれというか、未練がましさの象徴というか。

 それに比べると、桜の散り際は実に潔いと感じます。
 華やかに咲いて鮮やかに散って、季節と共に移り変わって。
 同じ花は二度と咲かないのに、散る姿には迷いがなくて。
 毎年違う花を付け、毎年変わらず綺麗な様子。

 桜の前向きさを見て、髪を切れない自分の臆病さを思いました。
 散って再び花を付ける桜の生命力。
 切り落とせない髪の黒さに感じた死の匂い。

 次の花を付けるために散ることができるというのは勇敢なことだなあ、と思います。
 変化を恐れて今持っているものを切り捨てられないのは弱さなのかなあ、とも思います。

 私は桜ほど潔くなれないので、しばらくはこの髪を切らずにいるでしょう。
 明日の朝もくろぐろと伸びた死を背に垂らして、匙で珈琲の粉を量るのでしょう。
 今朝と同じように、明後日も同じように。

 それは美しくないあり方かもしれません。
 だけれど、もとより花ならぬ身が桜を真似るなどおこがましいことだとも思えるのです。
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2006年03月24日

握力の測定

 先日、握力を測定しました。

 右手が17kgくらい、左手が10kgくらい。
 足して27kg。

 不確かな記憶によれば、確か女性の平均握力は27Kgくらいであったはず。
 とりあえずはその結果に満足しました。

 その後文部科学省の統計を見てみたところ、平成16年度の体力・運動能力調査によれば、20〜24歳女子の平均握力は28.91kgとのこと。
 してみると、私の握力は平均より少し下のようです。
 しかし然程大きく平均値から外れた数値ではありません。
 そう考えて安心しつつ、他のデータも閲覧。

「新体力テスト実施要項(20歳〜60歳対象)」
3 記録

(1)左右交互に2回ずつ実施する。
(2)記録はキログラム単位とし,キログラム未満は切り捨てる。
(3)左右おのおののよい方の記録を平均し,キログラム未満は四捨五入する。
 左右おのおののよい方の記録を平均し?

 ここでようやく、自分の勘違いに気付きました。

 どうやら、両手の握力を合計してはいけないようです。
 28.91kgというのは被験者が片手で出した記録の平均なのでしょう。
 実施要項に基づいて計測すると、私の握力はだいたい17kgということになります。
 大きく平均を下回ってしまいました。

 改めて調査結果を見直すと、10歳児(女子)握力の平均値が16.96kgでした。
 10歳児女子には勝てる記録のようです。男子には少し負けますが。
 やったあ。

 まったく嬉しくありません。

 道理で様々な不具合が生じるわけだと腑に落ちました。
 壜のふたを開けられなかったり。
 絞っても絞っても雑巾が水浸しであったり。
 遠心力に負けてテニスのラケットを放り投げ「これはそういう競技ではないよ」と諭されてしまったり。

 これまで大きな惨劇こそ起こらなかったものの、今後もそうであるとは限りません。
 死因が握力不足、というのはできれば避けたい事態です。
 自分が災難にあう分にはまだ諦めもつきますが、他の方を巻き込む事故を起こしてしまったりしたら目も当てられません。
 すこし鍛える必要がありそうです。

 データを見ていると、握力のピークは40〜49歳代。
 順調に成長すれば、そのころには自然に今よりもうすこし強くなっている予定です。がんばりましょう。

 なんにせよ、悲しい測定結果ではありました。
 せめて「握力が10歳児並でもそれなりに生きていける」という事実が、誰かに希望を与えるものであればいいのですが。
posted by にくす at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

不遇の帽子

 先週、お気に入りの帽子をなくしました。

 お部屋も職場もその他の場所も、思いつくところは全て探したのですが、一向に見つかりません。

 最後にあの帽子を被ったのは、母の車に乗せてもらった日です。
 もしかしたら車の中に置き忘れたのかしらと思い、母に尋ねてみました。

「探してみたけれど、なかったわよ」
「そうですか」
 しかし車の座席に帽子を置いたことは覚えているのです。
 その後見つからないとしたら、いったいどこに。

「あの日は随分慌てていたから、落としてしまったんじゃない?」
「その可能性は高そうですね……暖かくて、いい帽子だったのですが」
「先週落としたのだとしたら、残念だけれど諦めた方がよさそうね」

 確かに道に落としてしまったのだとしたら、先週失くした帽子を見つけるのは著しく困難な作業のように思えます。
 また、野外には車に轢かれる、雨に濡れる、鳥に攫われるなどの危険が盛り沢山です。そのような環境に置かれてなお帽子が無事である可能性は、限りなく低いように思われました。

 しょんぼりしながら帽子なしで職場へ。
 今朝は時間があったので、大きな道を通ってみました。
 そういえばこの前車から降ろしてもらったのはこの道です。
 落としたとしたらきっとこの辺りだったのでしょうが、今は一体どこにあるのやら。

 などと考えながら通路脇の植木に目をやると、見慣れた色の塊が引っかかっていました。
 慌てて駆け寄り拾い上げると、どう見ても私の帽子です。

 ああ、やっぱりここで落としていたのですね。
 落とした場所をおぼろげにでも特定した母は凄いなあというか、落としたものが一週間無事に放置されているなんて田舎の長閑さは凄いなあというか、とりあえず感激。

 しかしさすがにしばらく野ざらしにされてしまったのは辛かったとみえて、過酷な環境に耐え抜くうちに帽子もすっかりうらぶれた雰囲気を醸し出すようになっておりました。
 幸い致命的な損傷こそなかったものの。
 周囲に適応した結果、若干自然に還りかけている感じの、一見してこれはごみかな、それとも違うものなのかなと、見るものを困惑させる空気を漂わせる物質に変化していたのです。
 親しい人がすっかりぐれて帰ってきてしまったような、そんな切ない気持ちに。
 なんだか、かわいそうなことをしてしまいました。

 持って帰って綺麗に洗い、乾かせばどうにか元通りになりました。
 今後はこのようなことがないよう、大事に使いたいと思います。

 なんにせよ。
 気に入ったものが無事に手元に戻ってきたので、今日はいい日でした。
posted by にくす at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

救いようのない何か

 友人が発狂しました。

 元々あまり世界にきちんとあてはまることができないような感じの子でした。
 何か些細な辛いことがあるたびにうまくそれを受け流すことができずに落ち込んで、それを繰り返すうちに、どんどん色々なものを見るのが嫌になってしまったようで。
 数年前から、すこしずつ、すこしずつ、この世から心がずれていってしまっていたようで。

 彼女は会話が実に巧みで、独特の発想からくる言葉のひとつひとつが面白く、一緒にいた頃はいつもけらけらと笑い転げていたのですが。
 気付けば、あの頃の面影は随分と薄くなってしまいました。
 今の彼女は、あまり生きるのが楽しくないようです。

 メールをたまにもらいます。
 感情を制御できず、家族に怒りをぶつけたり、泣き喚いたりしてしまうそうです。
 あまりに苦しいと別の人格が現れるのだそうです。
 薬物の多量摂取や自傷行為が止められないのだそうです。
 死にたいのだと、彼女は言います。

 いままでありがとう。
 さようなら。
 そう書いたメールを既に何通かもらいました。

 その度に、あなたがいなくなると寂しいと、どうかまだこちら側にいて欲しいと、そういう返事を返してきました。
 子供騙しで安っぽい言葉だと、自分でもわかっていました。
 それでも、それ以上のものを返すことができませんでした。

 死に損ねて死に損ねて死に損ねて。
 傷だらけになりながらも、まだ、あの子の身体はこちら側にあります。
 それはいいことなのかどうか、わかりません。

 生きるのが苦しいのだそうです。
 あの子の絶望の深さを、自分を削るように日々を過ごすのを、見てしまいました。
 暖かく傍にいてくれる家族も、心配してくれる多くの友人も、食べるに困らない環境も、彼女自身の持つ豊かな才能も、その絶望を救ってはくれないようでした。
 いわんや私にそれをどうすることができるはずもありません。

 ここにいるのが苦痛でしかないのなら、死んでしまったほうが楽なのかもしれません。
 あるいはそれを勧めてあげるのが優しさなのか、とも思います。

 だけれど、私はあなたにここにいて欲しいのです。
 それは我儘なのかもしれません。

 メールをもらいました。
 自分は周りに迷惑ばかりかけている。いないほうがいい。今までごめんね。私がいなくなれば、皆もっと笑えると思うから。皆のことが好きだから、迷惑かけたくないから。
 だから、さようなら。

 いつも通り、返事を返そうと思います。
 私はあなたがいなくなると、とても、寂しい。
 どうかここにいて欲しい、と。
 それがあの子にとって嬉しい言葉なのかどうかは解りませんが。
 彼女の苦しみはその言葉でなお増してしまうのかもしれないのですが。

 苦しみながら日々を過ごすあなたのことを思うと、胸が痛みます。
 あなたに出会わなければ、私はもう少し心穏やかに生活することができたかもしれません。
 だけれど私たちは既に出会ってしまっていて、それをなかったことにはできないのです。
 
 そして全く絶望的なことに、私はあなたに出会えたことを幸福であったと思っている。
 あなたは自分が存在することに苦しんでいるのに、私はあなたが存在していることに喜びを感じているのです。
 酷い話だと思います。

 もしもあなたがいなくなったら、私はきっと笑うでしょう。
 からから笑って、殊更に冗談めかして、他の人にあなたの事を話しましょう。
 泣いてしまえば悲しすぎるから。
 悲しいことなど何もないように、大事なことなど何もないように、何も失ってなどいないかのように、へらへら笑ってばかばかしいことを言いましょう。
 そうでもしないと、きっとやっていられない。

 あなたがいなくなったとしても、私は変わりなく日常を過ごしていくよりないのでしょう。
 できるだけ泣き喚かずにどうにか感情を制御して、たまに笑ったりもしながら生き延びていくのでしょう。
 そういうことができてしまうくらいには私は強靭だけれど。
 そういう私が苦しんでいるあなたに、こういうことを言うのは我儘なことなのだろうけれど。
 だけれどそれでも、どうか。

 できればこちらにいてください。
 あなたがいないと、さみしいです。

 さみしいです。
posted by にくす at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

新年の過ごし方

 あけましておめでとうございます。

 新年は久々に着物で過ごしました。
 着付けに家族の手を煩わせるのもどうかと思い、元々あまり乗り気ではなかったのですが。祖母から譲り受けた反物を仕立てたという着物を見せられ、それがあまりに綺麗でしたので考えを改めた次第です。
 白地に二藍、藤色、紅藤の淡い色で藤の柄が染め抜かれている絞りの生地。帯には西洋風の柄が入った、梅紫や桜色の地で構成されたものを選び、菫色の帯揚げで全体を締めました。帯締めは白、薄色、退紅の糸で組まれた柔らかい色のものを。
 髪を結ってお太鼓に帯を結べば、中々粋な組み合わせに。
 着道楽にとって気に入った着物を身につけるのは無類の喜び。
 非常に晴れがましい気持ちで新年を迎えることができました。

 で、お年玉。
 勿論私は既に成人しておりますので、お年玉を戴くことはできません。
 しかしながら、何もないのも物足りないと感じたのか、父から。
「はい、あけましておめでとう」
 と、壜を沢山渡されました。ワイン二本、リキュール一本、ウイスキーを一本。
「こんなに!よろしいんですか?」
「お正月だからね」
 などと話していますと祖父からも。
「あけましておめでとうございます、どうぞ」
 と、大きな日本酒の壜をひとつ戴いてしまいまして、戴いたからにはまあお屠蘇代わりに呑むのがよいかなあと思いましたわけで。
 非常にほろ酔いのお正月を過ごすことができました。

 で、その間更新は止まっていたという事情です。

 ともあれ今年も色々頑張ろうと思います。
 とりあえずはおいしいおつまみを作る技術から身に付けていきたい所存です。
posted by にくす at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月27日

一重瞼の化粧

 左右の目の大きさが違います。
 しかも片目が二重瞼、片目が一重瞼なもので、全くの素顔のままだとなんだか顔のバランスが悪いのです。
 そこでこれまでは一重瞼の側にアイプチやメザイクを使用、両目を二重に揃えてアイラインを引きシャドウでぼかし、ある程度左右対称に近い顔を作るというようなことをやっていたのです。

 ところが最近享楽的な生活を送っていたもので、起きたら瞼がむくんでしまって両目とも一重瞼になってしまっていたことがありました。
 試しに両目をアイプチで二重瞼にしてみますが、むくみのせいでどうも不自然な形にしかならず、シャドウの乗りも悪くなっています。
 その日は出かける用事がありました。
 寝過ごしてしまったので、瞼を冷やしてむくみを取るような時間はありません。しかし不自然とわかっている状態で外に出るのもちょっと嫌です。
 一度ジェルで瞼をきれいにして、一重の状態でアイメイクをすることにしました。

 腫れぼったい印象にならないよう、シャドウの色は赤みの少ない茶色を選びました。アイホールに明るいシャドウ、眉下にハイライトを入れて、瞼の中央が高くなるような形にシャドウでグラデーションを作ります。目尻には少し濃い目の色を。
 二重の時に比べて瞼が目にかぶさる形になるので、眠たげな印象になってしまいます。それを避けるべく、睫毛の間を埋めるようにアイライン。折角なので一重瞼の形を活かすべく、少し目尻を長めに引いて切れ長の瞳を作ります。ビューラーは使わずマスカラを塗って、アーモンドアイの完成。
 普段より少しきつめの、強い目ができました。

 出かける前に家族に挨拶。
「いってきます」
「あら?今日は目がすっきりしているね」

 ほめられました。

 二重瞼の時のほうが、ぱっちり目が開いて可愛いというか、柔らかい印象になるかなあと思っていたのですが。
 顔や服とのバランスで印象の良し悪しは変わるものですから、一概にどちらの方がいい状態とはいえないのでしょう。
 例えばオリエンタルな雰囲気の服に合わせるときや、意思をはっきり表明したいような場所では一重瞼の瞳を活かした方が魅力的に見えるのかもしれません。

 ただ、一重瞼に化粧を施すのは二重瞼の時に比べ、ちょっと手間がかかる気がします。
 こつを掴んで「作りたい瞳」をはっきりさせて作業をすればそんなに難しいことはやらずに済むのですが、今回は普段と勝手が違うことに少々戸惑いながら目を作っていったもので少し時間が掛かり、結果として遅刻しました。
 いや、電車の遅延とか他にも要因は色々ありまして、決して化粧の為に遅刻したという訳ではないのですが。というか元を正せば寝過ごしたのが全ての原因なのですが。

 今回学んだこと。
・一重瞼は必ずしもコンプレックスになる事象ではない
・一重瞼と二重瞼で顔の印象は結構変わるので、可能な方は場に応じて使い分けてみてもいいのでは
・早起きは大切です
posted by にくす at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

全ての上に降る雪

 雪が降りました。

 いつもとは違う真っ白な景色に、朝から思わず少しはしゃいだ気持ちになってしまいました。
 さくさくと新雪を踏む心地良い感触。
 目に眩しいほどの白、頬を刺す冷気。街を行く人の群れも普段より重装備で、肩を寄せ合い寒さを嘆きながら歩く様子もどこか楽しそうに見えて。
 ふと道路を見やれば、そこには滑って走行を誤った車に後続車が追突しかけて引き起こされた大混乱。事故をどうにか回避するべく各々が動いた結果、十台以上の車がそれぞれあらぬ方向にタイヤを突っ込んで停まってしまい、それらを必死でどうにかする運転手さんたち。

 ……ええと、雪とは本当に危険なものですね。

 帰り道。
 降り積もった雪が踏み固められ、凍り付いて道の摩擦係数が下がっていました。
 平易な言葉に直すと、大変すべりやすくなっていました。
 そのため、朝に比しても危険さは更に増していて。周りを見回せば、家路を急ぐ人々があちこちで転んでいます。
 つるりと滑って柔道のような受け身を取った後、平然と立ち上がって歩き出す人。
 ダイナミックに自転車で空中を舞う人。
 バランスを取るために鞄を一度放り投げ、どうにか安定を取り戻した後に鞄をキャッチするという離れ業を見せる人。
 不謹慎とは思いますが、いったいどうして「転ぶひと」というのはあんなに面白いのでしょう。

 雪は全ての上に平等に降り積もります。
 小さき者にも大いなる者にも、富める者にも貧しき者にも、自由人にも奴隷にも、すべての上に等しく。
 雪は歩くひとを平等に転ばせます。
 転んでいる瞬間、そのひとの容姿、地位、その他全ての要因は問われません。そこには転んでいるという厳然たる事象のみがあり、その面白さは平等です。
 雪は全てのひとを平等に面白くします。

 当然、そんなことを考えながら余所見ばかりして歩いていた私が無事であった訳がありません。
 転びこそしませんでしたが、産まれたての仔馬のような足取りで帰路をふらふら帰りました。
 傍から見れば結構間抜けな姿であったのではないかと思います。

 願わくば、誰かがそれをこっそり面白がっていてくれますように。
posted by にくす at 22:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

今日の発見

 今更な話題ではありますが。

 1、女子十二楽坊のクリスマスアルバム

Merry Chiristmas To You

 2、とりあえず数えてみました

13人いる!

 3、意外に多いと思いました

 知っている方には常識なのでしょうが、当方世事に疎いもので。今日数えてみて「あれ、1人多い……幻覚!?心霊写真!?」とあらぬ妄想を掻きたてられ、びっくりしました。
 むしろ今まで正しいメンバー数を知らなかったことの方にびっくりすべきかもしれません。

 おまけ。
 個人的にはこの2人が気になります。

気になる2人

 一見仲睦ましげな2人なのですが、よくよく見ると

凶器は弓

 前にいる子がなんだか命を狙われています。

 次のアルバムで、いつのまにか12人に減っていたりしないかと心配です。

参考リンク:女子十二楽坊13人のメンバーの見分け方
posted by にくす at 17:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

占いの需要

 「手相っぽいもの」を見ることができます。

 きちんと手相を学んだ経験があるわけではないので、あくまで「手相っぽいもの」です。どの丘、どの線が何を顕しているのかとか、そういうことをしっかり覚えている訳ではありません。
 なんとなくの知識と、掌や指、爪の形、力の流れや血の流れ、あとは言葉の流れなどを読んで占いの真似事をするのが割と好きなのです。

 先日の飲み会、二次会でなぜか占い大会になりまして。
 お酒の席で遊び半分というシチュエーションにも関わらず、皆さん思いの外真剣に占い結果を聞いてくださるのにちょっと驚きました。
 己の来し方行く末を知りたいという切実な気持ちがどこかにあるのかもしれません。
 質問者が真剣だと、自然占う側にも身が入ります。手を読みながら、もう少し手相の知識があればもっと明確な言葉で相手を言祝ぐこともできるだろうにと、ちょっと申し訳なく思いました。

 これだけ需要があるのなら、一度体系立てて真剣になにかしらの占術を学んでおけば、何かの時に役立つかもしれません。これを機に少し勉強してみましょうか。

 そんな風に考えながらネットをうろうろしていたら、こんなサイトを見つけました。
 「読心術」

 ……現在私がやっている占いは、もしかしたら古来の統計学を活かした占術よりもむしろこちらのプログラムがやっていることに近いものなのかもしれません。
posted by にくす at 22:37| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

自転車の修理

 自転車が壊れました。
 パンクでもしたのでしょうか、タイヤが萎んでしまっています。
 その上かごは錆びて裂けています。
 更に鈴の取っ手ももげている状態です。

 これはそろそろ寿命かな、と思い、友人に
「自転車を買い換えようと思っているの」
 と相談しました。
「今乗っているのはどうしたの?」
「タイヤが駄目になっちゃって」
「交換すればいいじゃない」
「かごも壊れてしまって」
「付け替えれば済むでしょう」
「その上鈴も鳴らないの」
「鈴が壊れたくらいで自転車を買い換えるつもりなの?本当に?」

 修理することにしました。
 しかし私はこれまでに自転車を直したことがありません。タイヤのパンクひとつにしても、どこが駄目になっていてどの部品を交換すればよいものか見当もつかないという有様。
 とりあえず自転車の構造を理解するところからはじめましょうと考え、タイヤ周りを観察をしているとチェーンの辺りなどが中々に興味深く、成程自転車というのはこうやって動くものなのかと感心しながらペダルをからから回して遊んでいましたところに通りかかったのが父。
「……何してるの?」
「自転車を修理しようと思いまして。まずは構造の把握から」
「どれ、見せてごらん」

 自転車を見てもらっている間、邪魔になると悪いので部屋でお茶を飲んで待つことに。
 少しすると父が室内に戻ってきました。
「タイヤの虫ゴムが駄目になっていたみたいだね」
「じゃあそれを交換すればいいんですね」
「もう交換しておいた」
「あらら、ありがとう。じゃあ次はかごか」
「かご?」
「荷物を載せるかごが錆びて、裂けてしまって。材質そのものが腐食しているから、あれはもう取り替えないとどうしようもないと思うの」
「ふむ」
 再び自転車を見に行く父。
 お茶を続行する私。

 少しして戻ってきた父が言いました。
「直しておいたよ」
「え?どうやったの?」
「壊れた自転車の部品が残っていたから、それと付け替えた」
 見に行ってみると、そこにはほぼ完璧に直された自転車の姿。
「わあ、ありがとう。これであとは鈴を直すだけ」
「鈴?」
「あ、鈴に関しては心当たりがあるのでご心配なく」

 鈴代わりに手持ちの喇叭を装着させて、自転車の修理を完了させました。

 かくして自転車の修理は無事終わりました。
 なんでも修理すれば直るものです。地球にやさしい生活のためにも限りある資源を大切にし、無闇にものを捨てるのではなく可能な限り修理して使うという姿勢は大事だと思います。

 自分は鈴しか直していませんが。
posted by にくす at 16:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

かぶとむしの家出

 先日拾ってきたかぶとむしが家出しました。
 ベランダに置いておいた箱の口が少し開いていたので、きっとどこかへ飛んでいってしまったのでしょう。

 妹に「残念だったね」と慰められましたが、別に落ち込みはしませんでしたので、こう答えました。
「きっとあの子はここじゃないどこかに行きたかったのでしょう。どこか他に行きたいところがあるなら、それはとてもいいことだよ」

 実の所、家出してくれたことに少し安堵していました。
 これで私は目の前で生き物に死なれる悲しみを回避できますから。
 あのかぶとむしとの付き合いがまだ短く、強い親しみを感じる前に別れられたのは幸運であったとさえ思えました。
 一度親しくなってしまったものとの別離はとてもつらいことですから。

「行きたい場所がないよりは、きっと幸せなことよ」

 かぶとむしがどこに行ったのか、思いを巡らせました。
 そうすることは楽しいことでした。
 箱の中にいるかぶとむしを見るよりも、ずっと。
posted by にくす at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

おみやげの血脈

 先日深夜に帰宅の際、帰り道にかぶとむしを見つけました。
 あら珍しい、と思わず捕獲。たまたま持っていた袋に入れて家に持ち帰り、もうねむたかったので食堂の机に置いた上で
「かぶとむし在中 よければ箱などに入れてあげてください」
 と袋に付文して、あとのことは家族に任せて就寝。

 翌朝起きてきますと、父の手による急ごしらえの虫篭ができており、その中にかぶとむしが収まっていました。
 さらには母が綿に蜂蜜と水を含ませ、餌まで与えてくれておりまして。
 皆に見せたら外に帰すつもりでいたのですが、こうも家族が甲斐甲斐しく面倒を見てくれるようになるとなんだか逃がしにくくなってしまい。霧吹きで水分を補給したり餌を取り替えたり、かぶとむしの世話に余念のない今日この頃なのです。
「しかしあなたはよくよく色々なものを拾ってくるねえ」
 家族にはそのように呆れられました。

 だけれど声を大にして主張します。色々なものを拾ってきてしまう癖は私だけのものではありません。
 父もよく気紛れに亀だの泥鰌だの小さな生き物を拾ってきては育てています。いずれもすくすく育っております。生き物以外での変なおみやげとしては、「桜の切り株」や「ニホンカモシカの毛皮」などがありました。後者は購入したもののようですが、それを何に使うつもりであったのかが未だによく解りません。とりあえず部屋の隅に飾りました。
 祖父は以前、時折知らない外国の方を連れて帰って来ていました。そんな折は賑やかに部屋から異国の言葉が聞こえてきたものです。人と話すのが好きで、友人も多い性格の賜物なのでしょうが、しかし近所の茶飲み友達から始まってどこで国際交流に至ったものか。祖父にどういう過去が、どういう交友関係があったのか、もう全く解りません。

 切り株や異国の方を連れて帰ってきてしまう家族に比べれば、かぶとむしやマネキンや工事現場の看板くらいしか持ち帰ってこない私などはまだ可愛いものだろうと思うのです。

 あと、こんなところで血の繋がりを実感したくないなあとも思うのです。
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2005年08月03日

ひととの距離感

 今日は自己言及から。

 基本的に人見知りが激しい性格です。知らない人を前にすると、やたらと黙ってやたらと離れてやたらと拒否する傾向があります。
 最近は成長して知らない人にも少し友好的に接することができるようになりましたが、根っこの人見知り精神は簡単に抜けず

「はじめまして」
「はじめまして」
「ええと、暑いですね」
「ええ、昨日も暑かったですね」
「そうですね、明日もきっと暑いでしょう」
「まあ、夏ですからね」
「夏は……暑いですよね」
 そんな気まずい循環式会話に突入してしまうこともしばしば。

 しかし一度懐いた人間に対しては饒舌です。懐いた相手にはやたらと喋ってやたらと接近してやたらと介入するという、対人技能に関してはまるきり鏡家の末子のようなことになっているのが私なのです。
(余談ですが、そのせいで人間関係が長続きしない傾向にあります。殆どのひとは他人から無意味に無闇に暴力的なまでに友好的な態度を取られつづける鬱陶しさに何年も耐えられるほど強くできてはいません。ひとに好かれるというのはとても厄介なことなのです、特に相手が私である場合は)

 そんなふうに他人に対する距離の置き方がひどく極端なのですが、お酒が入るとその距離感覚にかなりの狂いが生じます。
 具体的には誰にでもやたらと喋ってやたらと接近していく、博愛精神溢れる私になります。
 先日参加した飲み会でもそうなりました。

 何をやっても大概やりすぎるというのはある種己の個性であるとは思っていますが、しかしもうちょっと中庸というか、ほどよく人と付き合う方法をそろそろ学ばなければいけないのではないかというか、だけれどお酒で人に対する警戒心が麻痺した状態は楽しいものなのでなんとかそれの程度を制御、有効利用することはできぬものかなあというか、あの日膝枕してくれた人は困っていなかったんだろうかというか、同様にパフェを手ずから食べさせてくれた人や足ツボマッサージをしてくれた人は内心困惑していたのではないだろうかというか、思い出すにつけ私は一体何をやっていたんだろうかそして何をされていたんだろうかというかそれにしても楽しかったなあというか、そんな思考うずまく反省会が無事とり行われましたことをここにご報告させていただきました。

 飲み会のあとの一人反省会は最早恒例行事です。

 明確な結論が出ないのも恒例です。それはまるで人生のように。
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2005年06月18日

剥き出しの中指

(注意:痛々しいお話を含みます、苦手な方は御遠慮下さい)

 また爪を折りました。
 爪というのは一本を折ると他に負荷が掛かり、他の指の爪も折れやすくなる傾向がありますので注意してはいたのですが、いかんせん注意力というのは持続させることが難しく。
 ミュールのストラップを留める際につい油断して右手中指の爪をぽきりと折り、剥がしてしまったのです。
 爪全体が剥がれたわけではありませんが、それでも指先に血が滲む程度には深く折れ、爪が本来保護すべき部分までが露出してしまう状態となりました。
 とりあえず止血を行い、パンドエイドで指先を保護して応急処置完了。安全の為に他の爪も切り揃えることに。勿体ない気もしましたが、どのみち一本がこれだけ損傷してしまえば爪の美観を整えるのは難しいこと。止むを得まいと諦めました。

 一晩もすれば傷口は塞がり、痛みもほとんどなくなりました。
 それは良かったのですが、爪が欠損してしまった部分は当然鋭敏な神経を持つ皮膚が剥き出しになっている状態な訳で。
 どのくらいの敏感さかというと、他の部位で例えるならば眼球と同じくらいの敏感さを持つ部分だと思っていただければわかりやすいかと思います。
 そういう感覚が利き手の指先という、最もあれこれ酷使される部位に宿ってしまったわけです。

 キーボードを打つ際につい指を滑らせ、敏感な部分に刺激が。
「うあん」
 背に電気が通ったようになり、思わず仰け反って呻きました。

 お箸を持つときにも角度が悪いと敏感な部分に刺激が。
「くうっ」
 とっさに声を噛み殺し、背を丸めて耐えました。

 髪を梳いていても、はらりと落ちた髪束が敏感な部分に刺激を。
「みゃうっ」
 筆舌に尽くしがたい妙な感触に、なんだかもうよくわからない奇声が。

 この状態では生活していけません。

 別にそれで「激痛が走る!」とか「耐え難い苦痛が!」とか、そういうことではないのです。
 あまり強くぶつけるなどしなければ、ある種不思議に官能的な感覚を覚えることさえあります。
 ですが生活場面の至るところで不思議に官能的な衝撃に出くわしたくはありません。
 仕事場で書類を纏め、同僚に意見を求めるような場面で書類が指に触れ
「ところで先月の会議で決まったあの件の……(さわり)ふぁあっ」
 とでもなればまるで私が変な人。
 一人でいるときであっても、「布団を畳みなおしているとき」とか「金平糖を摘んでいる時」に敏感な部分に刺激を感じ「ゃあう」などと艶めかしく悶えたくはないわけです。人生の中にそんな小さな官能を取り入れていきたくはないわけです。

 こんな時こそ付け爪の出番。
 削って形を調整した無着色の付け爪を折れた爪の上に乗せ、医療用テープで巻いて処置完了。
 たったこれだけのことで鋭敏な部分は見事に保護され、全く問題無く日常生活を送ることができるようになりました。
 付け爪とはなんと素晴らしいものでしょう。必要以上に刺激的な生活から解放された私には、この小さなプラスチックの欠片が人類が生み出した文化の極みのようにさえ思えました。

 だけれどそういう処置を取っても、爪の再生自体はまだ不完全。
 こまめにテープを貼り代え、付け爪と再生途中の指先を丁寧に洗ってやる必要があります。
 石鹸を付けて慎重に指先を撫でると、なんだかざわざわと気持ちいいような気持ち悪いような曰く言い難い感覚が全身に走ります。それはもう癖になりそうな独特の感覚で。

 見たところ、あと半月もすれば指先は完治しそうです。
 できる限り早く爪を再生させてしまおうと、現在私は蛋白質の摂取に余念がありません。
 やはり爪が生え揃っている方が、見目にも気分的にもよろしい状態のような気がします。
 なにより、これ以上自分におかしな嗜好を増やしたくはありません。
 「再生過程の指先をこちょこちょして悦に入るのが趣味の自分」などという将来像は嫌過ぎます。もう少しこうまっとうでありたいというか、人として大切な何かを失うのは避けたい所存です。

 爪というのは人体の中でも重要な部位なのだなあと痛感しました。
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2005年05月27日

人工の爪

 爪が折れました。
 最近は2、3ミリ程度爪を伸ばし、スクエアオフに切り揃えて薄付きのマニキュアを塗るという格好が定番になっていたのですが、仕事中左手中指の爪に罅が入り、しばらくは接着剤で補修して保たせていたのですが、ふとした隙に伸びた部分が折れてしまいました。
 思うに最近蛋白質の摂取を怠っていたのが原因でしょう。
 爪には健康状態が如実に顕れます。また、注意力散漫な状態でいると爪を傷つけることが多くなります。爪の手入れをすることは、自身の栄養状態や精神状態を把握するのに大変有効なのではないかと思う昨今です。

 などと思いを巡らせてみても折れた爪が元に戻る訳ではなく。
 爪が一本だけ短いというのは、あまり格好のよくないものです。
 しかし折れた爪の先が変な形に削れてしまっているので、全体を短く切り揃えても不恰好なことにはかわりありません。さてどうしましょう。

 付け爪に挑戦してみることにしました。
 私は爪の大きさが小さく、普通の付け爪ですと大き過ぎて指に合いません。そのため、小さいサイズの付け爪を探し出して購入。さらにそれをやすりで研磨して、自分の爪に合うサイズに仕立てました。
 折れた爪の上に削った付け爪を貼って上から不透明なマニキュアを塗り、他の爪にも同じ色のマニキュアを施すと、見た目は全く元通りになりました。
 よかったよかった。

 しかし私が好きなのは薄付きの色。不透明なマニキュアはけばけばしい感じがしてあまり好きではないのです。
 かといって薄付きのマニキュアだと地爪の色を透かしてしまうため、付け爪との色の差が瞭然。付け爪でも不自然にならず薄付きのマニキュアを塗る方法はないものでしょうか。

 考えた挙句、薄桃色のパール入りマニキュアを用意しました。
 これを付け爪の下部からシロップネイルの要領で先端にかけて色が薄くなるように塗り、仕上げにトップコートを一刷け。
 他の爪には同じ色のマニキュアを通常通り塗りました。
 揃えてみるとあら不思議、付け爪の上に地爪の色がマニキュアで再現され、違和感のない仕上がりに。大満足。
 欠けた部分を補えたことで、充足した気持ちになりました。

 私が好きなもののひとつに、義肢があります。
 足を無くしても義足をつけることが出来る、手を無くしても義手をつけることが出来るというのは、とても素晴らしいことのように思えるのです。
 致命的な損傷などどこにもないのだと錯覚することが出来るように思うから。
 無論それはやはり錯覚に過ぎず、欠けてしまえば二度と戻らないものは歴然とあるのだということも理解してはいます。
 しかしそれでも、修復不可能な傷が存在するというのは悲し過ぎる現実です。それは到底承服しかねる程に。
 どんな傷も、何かで補って元通りに出来るのだと思い込みたいのです。

 私の爪は折れたままですが、見た目にはほぼ元通りに修復することができました。
 ぴったりの義肢を作ることができたような気持ち。
 ゆえに私は今、爪が折れる前よりも幸せな気持ちなのです。
 それはおかしなことでしょうか。

 どこかに修復不可能な損傷を負ったことがある人になら、あるいは理解していただけるかと思います。

 癒えない傷はあります。
 それを消すことはできません。

 しかし傷の主が生きている限り、それは決して致命的な損傷などではないはずなのです。
posted by にくす at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

お化粧の研究

 最近お化粧が流行っています。私の中で。

 きっかけは百貨店の化粧品売場で店員さんに声を掛けられたことから。
 その店員さんは私の顔をじっと見て言いました。
「アイシャドーの色がお洋服に映えていますし、肌質も綺麗ですね。これでチークを乗せたらもっと良くなると思います。ちょっとやってみても構いませんか?」
「はあ」
 言われるがままにカウンターに。
 ちなみにその日の私の顔は、肌色を均一にするためリキッドファンデーションを塗り、目元に煉瓦色のアイシャドーを入れ、睫毛に黒のマスカラ、唇にはパール入りのグロスを施してありました。目元は強調されるものの、どこかのっぺりした感じの顔。

 ところが店員さんが頬紅を入れますと、ぐっと顔が引き締まった印象に。
「ね、いいでしょう?これをやってみたかったんですよー」
「へえ、変わるものですねえ」
 感心していると、更に店員さんは色々なものを持ち出しました。
「せっかくなのでベースメイクからやらせてください」
「え?」
「まずは洗顔から」
「はあ、ではお願いします」

 泡で頬を撫でられ、拭き取られたら化粧水をパッティング、乳液で下地を作ってコンシーラー二色で肌の色味を整え、パウダーファンデーションを塗った後白粉で仕上げ。その後頬骨の下に茶色の頬紅、高い所にハイライト。見る間に顔が立体的な感じに。しかも「塗りたくった」感じではなく、見た感じではむしろ薄化粧に見えます。

 で、その仕上がりには大変満足したのですが、お化粧品というのは塗った後の変化が大事な訳で。その場では何も購入せず帰り、別の所でしばらく遊びました。
 その日のうちは何時間経っても崩れる様子はなく非常に良かったのですが、次の日にきびが出来ました。結構熱心に洗顔したにもかかわらず。
 思うに、これまで碌に手入れもされていなかった肌が、いきなり化粧水だの乳液だのと甘やかされてびっくりしてしまったのでしょう。あるいはあのお店の化粧品が私に合わなかったか。
 しかしあの仕上がりは素敵でした。なんとかあれを再現できないものでしょうか。

 手持ちの化粧品で試してみました。殆どが廉価な化粧品、百円ショップのものもいくつか。
 以前買ったはいいけれど赤みが強すぎてお蔵入りになっていたコンシーラーにリキッドファンデーションとパール入りの粉を混ぜ、色と固さを調整。
 化粧水は肌に馴染んだものを使用、乳液は触ってみて乾燥が気になる所に少しだけ。全体に下地を塗った後、調合したコンシーラーを目の下に置いてくすみ隠しとハイライトに。その後全体にリキッドファンデーションを塗って、頬骨の下に薄茶のアイシャドーで陰影。これもお蔵入りになっていた白の口紅を鼻筋と唇の上に置いて艶と立体感を出し、頬骨の上には白のパール入りアイシャドー。
 高校の時ちょっと齧った騙し絵、トロンプ=ルイユの技法を思い出しながらの作業でした。

 で、これが思いのほかうまくいきまして。
 ただプロの仕上がりそのままとはいかず、時間が経つとどうしても少しよれてくるなどの課題もありまして、そのあたりをどうカバーしていくかが今後の課題で、暇があったら研究を重ねてみたりしている今日この頃です。

 ただ気付くと「きれいになること」ではなく「よりよい化粧品の調合」が目的になってしまっている辺りが元科学部の限界なのかもしれません。錬金術師の末裔として。

 ちなみに仕事場にはすっぴんで行くので、研究の成果はなんら活かされていません。
 趣味というのは概ねそういう無益なものです。
posted by にくす at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月25日

沼の中

 友人と散歩に行きました。
 途中に池のような形のぬかるみを発見。表面には草がびっしりと生えていて様子がよくわかりませんが、どうやら中央は沼のような形になっているようです。どれほどの深さの沼なのか知りたくなりました。
 友人にその旨を話してみると

「入ってみたら深さがわかると思うよ」
「そうだね、じゃあちょっと行ってみる」
 そういうことになりました。

・一歩目:普通の地面
・二歩目:ちょっと沈みだしました
・三歩目:10cmくらい足が泥の中に
・四歩目:体重をかけるとどんどん沈んでいきそうな勢い
・五歩目:っていうか足が抜けません!大変です!助けて!

 沼は思いの外深く、悲鳴を上げる間もなく沈んでしまいました。

 友人が私の沈んだあとを呆然と眺めていますと、沼から美しい女神様が現れました。片腕には黄金像を、反対の腕には緑色の娘を抱いています。
 女神様は友人に語り掛けました。
「あなたが落としたのは、この金の凩ですか?それともこの光合成のできる凩ですか?」
 友人は迷わず答えました。
「光合成のできるほうをください」
 すると女神様は怒って
「あなたは嘘つきですね、なにもあげません」
 と沼の中に帰ってしまいました。
 友人は残念そうに
「うーん、二酸化炭素から酸素を作り出し春先には花をつけ、更に秋頃には食用の実をつけるような知り合いが一人欲しかったんだけどなあ、惜しいことをした」
 と悔やんでいました。

 仕方がないので私は自力で沼から脱出しました。

教訓:友達は選びましょう。

*この話は概ね嘘ですが、部分的に実話です。
posted by にくす at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月09日

少林のサッカー

(内容に関する言及があります、未見の方はご注意ください)

 さっきまでテレビで放映されていた『少林サッカー』を観ていました。
 都合により前半1時間を丸々見逃したのですが、それでもまあ面白かったです。
 というか半分を見逃しても概ね楽しめるとてもおおらかなストーリーでした。

 そんないいかげんな鑑賞ながら、このヒロインは気に入りました。
 この話は大雑把に言って少年スポーツ漫画を本気の実写でやってしまった作品なのですが、少年スポーツ漫画のヒロインとは大体扱いがロクなものではないのです。
 というか話の性質上女子には出番がなく、活躍しようがないわけで。
 出番があるとすればマネージャーとしてレモンのスライス蜂蜜漬けを作ったり選手のユニフォームを洗ったりそんなところ。
 ひどいのになると「試合に勝った方が**さんと付き合う!」とか勝手に決められたりするわけです。賞品扱いですよ。

 で、まあこのヒロインも主人公の靴を直したりしていたので、ああ健気に主人公に尽くすヒロインというパターンなのだなあと思って見ていたのですよ。
 主人公への恋心ゆえに、それまでぼさぼさだった髪を切っておしゃれをして。乙女心ですよね。整形はちょっとやりすぎなんじゃないかなあと思うんですが、きっとお国柄の違いなんですよね。(途中からヒロインの顔が違う)
 可愛いけれど、ありがちなつまんないヒロインだなあという認識でぼんやり眺めていたのです。

 そしたら一番最後にとても強いチームとの対戦で、選手が怪我をして控えの選手もおらず、このままいけば失格という絶体絶命のピンチという場面でヒロイン登場。
「私が選手として出ます!」
 無理ですよ!普通のサッカーならいざ知らず、この映画のサッカーは殺し合いなんですよ?ボールが燃えたりゴールポストが折れたりそういう世界なんですよ?
 しかも見た所、彼女はサッカーのルールをよくわかっていない様子。ああ、もうだめだ。

 そんな彼女が気丈にもキーパーとしてコートに立ち、相手チームのボールを受けることになります。てっきりこれは主人公が「彼女を傷つけるわけにはいかない!」とか言って彼女をかばうパターンなんだろうなと思ったら
燃え盛るボールが彼女の方に一直線に飛んでいきました。

 えー!

 で、彼女はそれを太極拳で軽々と受け止めました。
 さらに指先でボールを高速回転させて、芝生を巻き込むほどの竜巻を起こしつつパス。主人公がそれを受けてシュート。相手選手とゴールとその他あれこれが吹き飛ぶほどの勢いのシュートで
 グラウンド大破。
 相手チーム試合続行不能につき、勝利。

 ええー!

 ちょっと待ってくださいよ!そんなに強いならもう他の選手いらないじゃないですか!11人も集めてチーム組まなくても、あなた1人がボール投げるだけで相手チームがグラウンドごと吹っ飛ぶんですから!というかこれはシュートとかパスとかそんなものじゃなくてもう災害の域に達しているのではないでしょうか!

 まあそんな無茶さがこの作品の肝なのですが。
 前半観ていないのでよくわかりませんが、どうもヒロインは太極拳の達人だったらしいです。太極拳って凄いんですね。
 観ていて自分でも太極拳を習いたくなったほどです。私も竜巻とか起こしてみたいです。

 とりあえずヒロインがゴジラ並に強いスポーツ漫画(的脚本)というのはなかなか新鮮でした。
 
 サッカーのルールは結局よくわかりませんでした。
 というかこれサッカーの映画じゃありませんよね。
posted by にくす at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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