2006年10月09日

化け物の文化誌展

 東京・上野の国立科学博物館で、「化け物の文化誌展」が開かれます。

 会期は2006年10月17日(火)〜11月12日(日)、月曜日休館。
 公式サイトはこちら
 「天狗のミイラ」や「人魚のミイラ」、「人魚の肉」といった遺物に加え、各種絵巻や図鑑などの資料が展示されるようです。
 こちらの記事によりますと、天狗や人魚のミイラをエックス線で分析し、エックス線撮影の写真も展示する予定だとのこと。
 生物学という切り口から、これらの「化け物」を分析するという趣旨なのでしょう。面白い観点だと思います。

 しかし、このような企画がよくも実現したものです。
 以前某寺へ妖怪に纏わる遺物を見学に行ったことがあるのですが、そこにあっては、それらは今でもれっきとした信仰の対象として崇められていました。
 その場所にあっては、それがほんとうに不思議な生き物の痕跡なのか、それともつくりものであるのかなんて、そんな疑問を持つこと自体がとても失礼なことのように思われたのです。

 それに実の所、それが何であってもよかったのです。
 私が知りたいのは、あくまでこの世にあるひとのありかたでしたから。
 なぜこの世ならぬものが必要とされたのか、それはどのように扱われ、どのような物語を付与されて、いかにして信仰の対象となりえたのか。
 そういうことこそが大切で、ほんとうに不思議な生き物が生息していたかどうかを知ることは別段重要な事柄ではありませんでした。
 対象となる遺物がひとの手による作成物であっても分析不能な謎の物体であっても、別に構わなかったのです。
 その存在を信じ、畏れ、崇めたひとがいたのなら、それらは立派に「化け物」として機能したのですから。

 今回は曹源寺の「河童の手」も公開されるとのこと。
 よくお寺が貸し出しに応じたものだと思います。主催の「生き物文化誌学会」には皇族も参加しているとかそういう効果がものを言ったのでしょうか、それともこういった展示に出すことは別段信仰の妨げにはならないと判断したのでしょうか。
 いずれにせよ、勇気のある判断だと思います。

 とても興味を惹かれる展示なのですが、行こうかどうしようか迷っています。
 ここには私が見たいと思っていたいくつかのものが確実にあります。
 だけれど、私が知りたいと思っていることたちはここの展示にはないように思うのです。
 あれこれと調べまわって各種機関に問い合わせを入れ、約束を取り付けて遠くに出向き、お寺で物々しく拝謁を許されてはじめて見ることのできる欠片。
 その場所に行き、そこのひとにおはなしを伺ってはじめて、「化け物」はその形を成すもののように思えるのです。
 それをせずに遺物だけを目の前にして分析結果を示されても、それはただの「もの」に過ぎません。
 生物学とは、科学とは、もとよりそういうものなのかもしれませんが。

 とはいえ私は元々引き篭もり志向のひとみしり、あまり活動的に各地のお寺に出向いて知らぬひとのお話を聞くのは得意ではありません。
 探索の仲介を任せられる先輩もいなくなってしまった今、気軽に手軽にこれらの遺物を目にすることが出来るこの展覧会はまたとない機会。
 見られるものはどのようなものであれ、目にしておいたほうがよいのかもしれません。

 だけれどそれでも、かつて信仰の対象であったものが、ケースの中でどのように扱われているかを見るのがすこし怖いのです。
 鑑賞するひとはどのような態度でこれらの展示を見るのでしょう?
 学術的な興味を持ってでしょうか、それとも未知なるものへの好奇心でしょうか?
 科学的に分析してしまえば様々な分子の集まりでしかない遺物に対し、そこにあった物語を読み取り敬意を払ってくださる方はいるのでしょうか?
「なあんだ、作り物か」と揶揄されたり、徒に気味悪がられたりはしないでしょうか?
 もしそのような場面に出くわしてしまったら、ひどくいたたまれない気持ちになると思うのです。

 そんな些細な感傷のために観覧を躊躇してしまう私は、きっと「化け物」に愛着を抱き過ぎているのでしょう。
 それは滑稽な様子でしょうが、大切に思えるものがあるのはきっとよいことです。

 その対象がこの世ならぬ「化け物」であったとしても。


posted by にくす at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | おでかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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