2006年02月23日

締め上げ機への憧憬

 オリヴァー=サックス『火星の人類学者』に、テンプル=グランディンという人物が紹介されています。

 動物行動学を学んで博士号を取得し、コロラド州大学で教鞭を執りつつ酪農施設の設計を手がけて事業を経営しているという、高い能力を持つ自閉症患者です。
 彼女はその病の故に、他者の感情に共感する事ができません。怒りや喜びといった単純な感情表現は理解できますが、それ以上の複雑な感情、皮肉や比喩、冗談といったものがわからないのだそうです。
 そのために、他者との関係性を築くのが難しいのだといいます。
 恋をしたことがあるだろうか。
 いいえ、と彼女は答えた。自分は独身で、一度もデイトをしたことがない。そうしたつきあいは複雑すぎて手に負えないし、当惑するばかりだ。彼女は聞いた言葉がなにを意味するのか、どんな含意があるのか、なにを求められ、期待されているのか、どうしても理解できない。そんなとき、ひとがどういうつもりなのか、なにを仮定し、あるいは前提としているのか、どんな意図をもっているのか、わからなくなる。これは自閉症に共通したことで、そのために性的な感情をもってはいても、デイトや性的関係があまりうまくいかないのだと彼女は言った。
 だが、実際にはデイトや人間関係だけの問題ではなかった。「わたしは恋に落ちたことがありません」と彼女は言った。「恋に落ちて、有頂天になるというのがどんなことか、わからないのです」
 そんな彼女は「締め上げ機」というものを製作し、それを愛用しています。
 その装置には、分厚い柔らかなパッドにくるまれた幅九十センチ、長さ百二十センチほどの重い木の板が二枚、斜めについていた。二枚はV字型になるように細長い底の部分が蝶番でとめられて、ひとの身体がおさまる樋になっている。いっぽうのはしに複雑なコントロールボックスがあり、頑丈なチューブで戸棚のなかのべつの機械につながっていた。テンプルはそちらの機械も見せてくれた。「産業用のコンプレッサーです。タイヤに空気を入れるのに使うのと同じなんです」
「それで、これは何に使うのですか?」
「肩から膝まで、しっかりと心地よい圧力を与えてくれるのです」

 小さいころ、彼女は抱きしめてもらいたくてたまらなかったが、同時に、ひととの接触が怖かった。

 それで――当時、まだ五歳になったばかりだったが――力強く、だが優しく抱きしめてくれて、しかも自分が完全にコントロールできる魔法の機械を夢見るようになった。

 実際的な彼女は、やがて夢を実現した。初期の機械は原始的で、ぐあいが悪かったり、故障したりしたが、やがて心地よくて調節がよくきき、思いのままの「抱っこ」を実現してくれる完全な機械ができあがった。彼女の締め上げ機は期待どおりの効果を上げた。子供のころから夢見ていた平安と喜びを与えてくれたのだ。
 自作の奇妙で柔らかな機械に包まれて、うっとりと安らぎを得るひとのいる部屋を想像しました。
 それはとても簡素で美しく、幸せな光景のように思えました。
 「締め上げ機」とは、なんて素敵な機械だろうと憧れました。

 そこで先日友人にこの話をして、自分がいかにこの機械に惹かれているかを訴えたのです。
「素晴らしい機械だと思わない?私もひとつ造って部屋に置きたいくらいなんだけれど、この国の住宅事情では難しいかな」
「そこまでしなくても、やわらかいものが欲しいなら布団にくるまればいいじゃない」
「まあ、お布団の柔らかさと包容力は認めるけれど、求めるものとはちょっと違うかな。圧力が重要なのよ」
「じゃあ、重石を乗せるとか」
「おもし。自分の上に土嚢を積むとか?」
「『重いものの下に埋まっている。大きな石などをめくると出てくる』……妖怪のようだね。『妖怪・隙間好き』?」
「むしろその解説は虫の生態に近いような」

 残念ながら、私のときめきを理解してもらうことはできませんでした。

 本当は、締め上げ機そのものが欲しい訳ではないのです。
 私が欲しいのは、締め上げ機の中で安定できる気持ちなのです。
 ひとに抱きしめてもらえなくとも、ひとから好いてもらえなくとも、自分ひとりだけの力で必要な圧力を与えてくれる装置を造り、それで何の不自由もなく自分は幸福であると、そう言い切れる精神なのです。

 私は自閉症ではありません。
 だけれど、他者の気持ちを推し量る能力に欠けています。
 自分以外の人が何を好み、何を嫌い、どのような法則に基づいて行動しているのかいまひとつ理解できず、ときに困惑するのです。

 何か私の情緒には、重大な欠陥があるような気がするのです。
 自分がまともな人間だとは、どうしても思えないのです。
 だから私には生涯真っ当で親密な人間関係を築くことなどできないのかもしれないと怯えていて、そうして半ば諦めています。
 私に対して愛情を抱き、尚且つそれを持続させることができるひとが現れる。そんな奇跡のような可能性を本気で信じる気には到底、なれないのです。

 なのに私はひとを好きになります。
 誰かに憧れて焦がれて、近付きはするけれど相手の気持ちがわからなくて、巧く関係性を築くことができなくて。徒に身を焦がして、相手を困惑させて。
 どうしてだか、そうせずにはいられないのです。
 自分の裡にある愛情は些か多過ぎるので、私はそれに翻弄されてばかりいます。
 だけれどこの感情を切り離して生きていくこともできません。
 こういった感情をなくせばきっと私は私でなくなってしまいます。自分という人間からは生涯逃れられない以上、自身のありかたを、その異常性を欠陥をすべての瑕疵を正しく認識し、感情を飼い馴らしながらどうにかやっていくよりないのでしょう。
 それはすこし、厄介なことです。

 だから私はグランディン氏のありかたに憧れます。「わたしの人生には欠けているものがある」と語る彼女の人生に。
 彼女の方が絶対に私より幸せであるとは思いません。
 自分のありかたをそれなりに肯定もしています。
 だけれどそれでも、憧れるのです。
 それは自分にはない精神のありかたですから。

 孤独を感じないひとを前にしたときに突きつけられるのは、自分の裡にある孤独です。
 彼女はある意味では愛情に憧れているが、他人に情熱を感じるというのがどういうものか想像できない。
 あなたに抱き締めていただきたいと願いさえしなければ、私の人生はもう少し簡単なものになっていたように思います。
 しかし機械の圧力だけで平安を得ることが可能なありかたを選択することはもはや叶いません。
 私は既に、他者に対して執着心を抱くというのがどのようなことなのかを知ってしまいました。
 それをなかったことにはできません。

 故に私は他者に対する膨大な愛情をただただ持て余し、すこし途方に暮れるのです。
posted by にくす at 16:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
さりげないけれど、なんて切ない話だろう。
乙一氏なら、このネタで魂が震えぬばかりの切なさ小説を作ってくれそうだ。
Posted by くらげ at 2006年02月23日 20:25
私は自分が抱きしめられたいと思った分だけ他人を抱きしめることにしています。

いつか返ってくる…はず。
Posted by まゆみ at 2006年02月24日 00:00
>くらげさん
 何といっても「せつなさの達人」ですしね。あの淡々とした描写でこのおはなしを書いたらいったいどんなものになるのか、興味はあります。

>まゆみさん
 同感です。でも私の場合、「愛情を以って抱き締める」というより「酔った勢いで絡む」という形でしか抱き締め欲を表現できていないのが困り物。

「酔わなきゃ本音を言えない人を信じちゃだめだよ。そういう人は本当の人生を生きていないからね」
(横山秀夫 『クライマーズ・ハイ』)

 作家さんの名前が出てきたついでに、漱石ならこの方のありかたをどのように読むのだろうなあと考えたりもしました。
 孤独ということについて考えるとき、『こころ』に出てきた先生の言葉が思い出されてならないのです。

「私は淋しい人間です」

「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか」
Posted by にくす at 2006年02月24日 10:22
締め付け機、テンプルグランディンが設計したものとほとんど同じものがあります。3点改造してありますが、その改造はテンプルグランディン自身に許可をもらっています。

もしよろしかったら体験してみてください。
 東京小金井市の社会医学技術学院にあります。
 作業療法士 の石井までお願いします。
Posted by 石井孝弘 at 2010年03月29日 15:24
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